2020年11月24日火曜日

長野市博 GF35 踏み犂

 

左端には金物をかぶせ,右に向けて有機的な曲線を描きながら足を掛ける右端に向かう。その形は,おそろしく人工的であるが自然であるとの感覚を持つ不思議な形である。中央部から左側のシャープでありつつも意味ありげなふくらみを持つ一方で,右部の柄との合流点では,まねができないほどの機械的な“形を気にしない”造形となっている。もしかすると理想的であると同時に実仕様における最適形状を持つ完璧な片持ち板の形なのかもしれない。
この系統の踏み犂は床の中央部にくびれを持つところにその特徴の一つがある。正直なところ,もし自分がこの形の制作者とするなら,ここまで細く削り込むことはできない。折れてしまうのではとの恐怖感を乗り越えることはできない。

なんとも宇宙空間を航行する飛行体のようでもある。

2020年11月23日月曜日

飯高神社@匝瑳市

 向拝虹梁蟇股の龍の波について

波面の向きの違い

蟇股の龍と波の全景
青海波を基本として,横方向へのつながりと波面の向きの変化により波の雰囲気の演出の試みがうかがえる。右の飛び上がる波の造形も水の性質を表そうとしている様子がうかがえる。形式化された波面の重ね合わせと,リアルな波の立ち上がりとのハイブリッドな表現が見えるように思える。
夕日に輝く飛び上がる波

本殿塀左入口辺りの牡丹


花びら一枚の曲面変化が精細である。その曲面は2次元的でなく,鞍型の曲面にさらに自然なねじれが掛かり,一つの面でも凹凸が有機的につながり空間に展開している。深みのある形である。
本殿塀右入口
本殿塀右入口
この形には勢いがある。そういう風に感じてしまう理由はどこにあるのか不明である。その表面の劣化は進んでいるが,形に強さがあるように思われる。その感覚が時間効果なのかもともとのものなのかわからない。その形の中には何か得体のしれないものがあるのだろうか。本堂の高いところにある木鼻獅子の様相とも異なるように思われる。

2020年11月17日火曜日

岩戸宗像神社本殿

 

岩戸宗像神社本殿
 印西から船橋方面につながる雰囲気のある道がある。この神社はその道が下りながら大きくゆっくり曲がり進む際の雑木林の中にあり,ついつい通り過ぎてしまっていた。そこにも立派な彫刻があるときき,いつものようにふらっと立ち寄ってみることにした。
 この本殿は鉄製の格子に囲まれてはいるものの,そこに配置されている彫刻群はおだやかな曲面で構成されているものが多いように感じられた。

この木鼻獅子の形は基本的には大森鳥見神社のそれと同系統のように見える。おそらくその時代の一致した表現なのかもしれない。ただ,こちらの方がいくぶん動きに柔らかさがあるようにも感じる。

この牡丹もかなりの掘り込みによる立体感が再現されているように見える。これだけの木彫が静かにここにあることは,何を意味しているのか。何を思いこの形をここに残しているか。その時の人の動き,賑わいはいかほどのものだったのか。この木彫を見上げていた人たちは何を思い,何を話していたのだろうか。

2020年11月15日日曜日

大森鳥見神社本殿

 

大森鳥見神社本殿南側
 千葉県印西市大森に位置するこの神社は,車通りの多い千葉から龍ヶ崎・成田につながる幹線道路から,小さな交差点を経て左折し,閑静な民家の間に入り,そこを通る真っすぐと西にのびる気持ちいの良い道を進んだ先にある。大きな榧と銀杏を神木とする絵に描いたような村の鎮守的な雰囲気を包まれている。
とても素直な木鼻獅子らしい形である。特に奇をてらったところもなく,落ち着いた存在となっている。
 この犀と獅子は本殿と拝殿をつなぐ海老虹梁の拝殿側のつけ根に設置されている。その形はその時代の安定した様式に従っているように見える。存在としての面白さはもちろん感じられるが,静的でもある。